一億総魚類化計画

人類は滅亡の危機に瀕していた。
地球の総人口わずか一億人。陸地のほとんどが海に沈み、わずかに残った大地にしがみつくように、人類は生きていた。
大気汚染、海洋汚染、土壌汚染……ありとあらゆるものが汚染され、動物も植物も死に絶えようとしている。
多くの科学者たちによって、人類生き残りの方法が研究されてきたが、どれも失敗に終わっていた。もはや、なす術は無く、人々は来たる死を覚悟して、その時を待つばかりだった。
そんな重苦しい雰囲気が漂う中、科学者たちによって、衝撃的な研究が発表された。
『一億総魚類化計画』
悪化した地球環境に適応するため、遺伝子研究が進められていた。その行き着いた先が、人類が魚になるしかないという結論だった。
これまでに、多くの種が、環境の変化に適応できずに絶滅していった。人類は、自らの手で自らの種を残す、初めての生物になるのだ。
太古の昔、魚類が陸に上がって両生類となり、やがて哺乳類へと進化した。
そして、地球表面のほとんどが海洋と化したいま、人類が海に向かうのは、必然であると。
人類はいったん魚となり、そして、また進化の時を待つのだ。
「これは進化である」
科学者たちは、そう主張した。
そのバカげた計画に、最初、多くの人々は一笑に付した。しかし、確実に人類終焉の時が近づいていることを実感するうちに、賛同の声が広がっていった。
――少しでも生き延びれば、その先に何かあるかもしれない。
――どうせ死ぬのなら、せめて自分たちの遺伝子を残したい。
――人類の生きた痕跡を残したい。
その想いは、人類の本能だったのかもしれない。


決意の時が迫ろうとしていた。
さらに研究が進められ、一粒の錠剤で魚類へと「進化」することに成功していた。
計画実行を控え、一億総魚類化計画のリーダーである一人の科学者が、こう宣言した。
「私たち科学者は、科学者の責務として、人類最後の時を見届けたい!」
人類を救えなかった科学者たちは、魚類への進化を拒み、人類として死ぬことを選んだのだった。
人々は、科学者たちに喝采の拍手を送った。
また、ごく小数の人たちが魚類への進化を拒否していたが、世間は容赦ない罵声を彼らに浴びせていた。人類に対する裏切り行為だと、激しく非難されたのである。
そして、錠剤が人々に配られた。
人々は衣服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿に戻った。一粒の錠剤を口にし、海へと入っていく。
やがて、全身の毛が抜け落ち、皮膚はウロコへと変化していく。手足はヒレと化し、鼻はつぶれ、のどが割れてエラとなる。
人類は、新魚類として生き残る道を選んだのであった。


一方、陸地に残ることを選んだ科学者たちと一部の人たちは、死を待つばかり……のはずだったが、事態は変わりつつあった。
人口が急減したおかげで、なんとか少ない食料で飢えをしのげるようになっていた。
そして、新たな食料を発見した。
魚だった。
多くの魚類が絶滅し、もはや死の海となっていた海洋に、魚が復活していた。
残った人類は、その魚を釣り上げた。
釣り針にかかった魚は、「あぁーうぅー」と蚊の鳴くような声を上げ、その体には、いまだ人間の手足の痕跡が残っていたものも多かった。
人類にとって、新魚類は栄養価も高く、貴重な食料源となったのである。
いままで人食が行われることはほとんど無かったが、新魚類はあくまでも魚類であるとして、人々は新魚類を口に入れた。
新魚類の遺伝子には、汚染された海洋に適応するような工夫がほどこされていた。順調にその数は増え、死の海は生命の海へと浄化されていった。
やがて、大地に木々が生い茂り、再び川に水が流れるようになった。海面は徐々に下降し、陸地が拡がっていった。


科学者たちの勝利だった。
一億総魚類化計画は、そもそも遺伝子研究の失敗から生まれたものに過ぎなかった。
人類滅亡の危機を前に、人々は科学者たちに、その責任をなすりつけていた。
科学者たちの権威と名声は地に落ちていたが、地球環境が再生へと向かう中で、彼らはヒーローと化したのである。
そして、科学者たちは、人類を魚類化する技術を破棄し、自らの行為を忘却した。
やがて、新魚類は人類による乱獲によって絶滅したが、その頃には数多くの魚類が復活・誕生しており、もはや人類にとって何の影響も無かった。
こうして、一億総魚類化計画は、成功したのである。


それから悠久の時が過ぎて、西暦2009年――
再び、人類は、地球環境の悪化に苦しみはじめている。
古代魚と呼ばれるシーラカンスが、かつて魚類と化した人類の痕跡であることは、誰も知らない。
科学者たちが、人類魚類化計画を再発見できるかどうかに、人類の存亡はかかっているのであった。


(電撃リトルリーグ第10回投稿没作)